あけましておめでとうございます。
2016年を迎え、一週間が経とうとしています。そろそろ「日常」の生活に戻ってきました。という方も多いのではないでしょうか?
昨年一年間を通して、また、それ以前から多くの方と出会う機会を頂き、セッションを通して“自分”と言う意識や、自分が作ってしまっている、あるいは親や先生、周囲の人たちからあてがわれた「自分」とは、なんと厄介なものだろう。と思うことがあります。
そしてまた同時に、なんて人は自分を大きく見積もっている(同時に過小評価している)んだろう、とも。
今までの自分の体験を振り返ってみると、大きく影響を受けた本、人、映画や音楽…。数々のギフトがたくさんあります。
その中の一つの、ある本にこういう言葉があります。
“私は不死の聖霊だ。この身体はイメージに過ぎない。
「わたし」とは何の関係もない。
あなたは不死の聖霊だ。純粋であり、無辜である。
すべては癒され、解放された。”
私たちが、肉体だけの存在であるとするなら、説明のつかないことがたくさんあります。
私たちは、心と体と霊、三位一体の存在である。心がある、ということは誰も疑わないだろうけれど、それよりも先に「霊である」ことを受け入れ、確信している人はまだまだ少ない。
そのことをよりもっと確信していけるような、2016年にしていきたい。
そう思っています。
本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
Primaria☆Stone名倉正祥 拝